こんにちは。シン・カオス王子です。先日、3回目の実務補習が無事に終了しました。3回目は班長に任ぜられ、ファシリテーションスキルも含めて、またもや成長できたと実感できる実務補習となりました。
こちらのブログ、投稿者の皆様は実体験に基づいてお書きになっていて、私だけ毎回、趣味の世界に入っているような気もするのですが、残りの投稿回数もわずかなので、引き続き趣味の世界で走っていきたいと思います(汗)。
1次試験の企業経営理論では、オハイオ研究やらミシガン研究やらパス・ゴール理論やら、いろんなリーダーシップ論が出てきたと思います。また、2次試験の事例Ⅰでも、「社長による従業員との対話」がキーワードとなる回答も少なくありません。このリーダー論、実は東洋でも古くから議論の対象となってきました。私が、ここ数年、中国の古典に少しはまったこともあり、「立派なリーダー」とはどのようなものか考えてみたいと思います(大きくでましたが、コーヒーブレイクに肩の力を抜いてお読みください!)
中国の古典って…
中国の古典って、漢文として中学や高校時代に習いましたよね。「なんで、国語の時間に中国の文章読まないといけないんだっ!!」と憤った方も多いのではないでしょうか。でも、日本の組織に儒教の考え方(上下関係がはっきりしていて、上司には逆らっちゃいけないとか)はしっかり根を張っているし、「矛盾」とか「四面楚歌」とか「朝三暮四」とか、日本語でも使われる成語・四字熟語も多いですよね。
私もコロナで「おうち時間」が増えた期間中、かなり中国の古典にはまりました。その中でも、いろんな人がリーダーについて言及していて、結構参考になるのです。きょう取り上げたいのは、①孔子、②老子、です。あ、最後には、シン・カオス王子の由来についてもとうとう解き明かされますのでお楽しみに。
徳のある君主こそ理想(by孔子)
まずは、かの有名な孔子からスタートします。「子曰く……」という文体を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。
孔子は「君子」という言葉を使って理想的なリーダー像について語っています。例えば、、、
・自分のことをわかってもらえなくても、恨みに思わない。
・何よりもまず、自分の内なる徳性に思いを致す。
・自分自身に責任を求め、決して他人のせいにはしない。
・人の美点を成し遂げさせるよう配慮する。
・君子の徳は風のようだ。下の者は草木のように、そのそよ風によって徳化される。
湯浅邦弘『諸子百家』より引用
どうでしょう。なんと理想的なリーダーなのでしょうか。私もリーダーのそよ風によって徳化されてみたいものです。また、先日の実務補習では班長を務めましたが、班員の美点を成し遂げさせるよう努力できた自信がありません…。
孔子の言うようなリーダーがいたら、間違いなく心強いし、頼もしいし、下の者からの尊敬も集めるのだと思います。ただ、現実の問題として、ここまでのリーダーに出会うことはなかなかありません。そういう意味で、孔子の言う「君子」はもしかすると理想の追い求めすぎなのかもしれないですね(理想の状態を想像することは決して悪いことではないと思いますが)。
できるリーダーは脚光を浴びない(by老子)
中国の古典で、〇子、〇子…、とあげていったら、多くの人が孔子、老子…となるのではないでしょうか。(孟子とか荀子とか荘子とかの順番は逆に皆さんに聞いてみたいです。)その、老子です。
老子は、「無為自然」や「上善如水」など、あるがまま、自然体でいることの大切さを説いているのですが、理想のリーダーについて言及しています。
では、老子的、だめなリーダー像ランキング。
1位(一番ダメ) 部下になめられるリーダー
2位 周りから恐れられるリーダー
3位 親しまれて敬愛されるリーダー
4位(一番いい) いる、ということくらいが知られているリーダー
通常の感覚で見たら、親しまれて敬愛されるリーダーがよいのかもしれませんが、老師は「いる、ということくらいが知られているリーダー」が良い、としています。その真の意味は、そのくらいの存在感であれば、部下が何かを達成したときに、「自分でやり遂げた」と思える。と書いています。部下に意識されず、それとなく実は道を作っているリーダー、確かに、そんなリーダーいたら、部下として働いてみたいかも。
孔子のリーダー像はマッチョな感じ、老子はソフトな感じ。その対比が面白いですよね。
中国の古典はほかにもあるよ
きょうは孔子と老子のリーダー論について書きましたが、この時代の中国の古典は、それこそ孫子の「兵法」をビジネスの世界に置き換えてセミナーまで開いているようなコンサルタントがいるなど、百花繚乱です。解説本なども充実しているので、興味のある方は是非一度、お手に取ってみてはいかがでしょうか。
シン・カオス王子の由来とは?
引っ張りに引っ張った感があり、だれも興味をお持ちでいないかもしれませんが…。
私のペンネームである「シン・カオス王子」は、実は荘子に由来しています。中国の古典の中でも最も好きなエピソードの登場人物の名前からつけました。エピソードの概要はこんな感じです(意訳)。
あるとき、北の王様と南の王様がいて、真ん中の国に混沌王子なる人物がいました。混沌王子は頻繁に北と南の王様を招き、厚くもてなしました。そのおかげで、北の国と南の国はとても友好な関係が続いていました。
ある時、北と南の王様は、混沌王子に厚くお礼をしたいと考えました。混沌王子は目も鼻も口もはっきりしない、まるでスライムのような外見だったので、2人の王様は、混沌王子に目、鼻、口、耳の7つの穴を1日ずつ開けていきました。そして、7日が経って、混沌王子は死んでしまいました。
最後、混沌王子は死んでしまうのですが、このエピソードが示唆するのは、誰しもが自分の快適な空間を持っていて、仮にAさんがどんなに良いと思っていても、Bさんにとっては不快でしかないこともある、ということです。私も自分が快適だと思えるところで暮らしていきたい。その過程において診断士の資格を役立てたい、そう思ってペンネームを”シン(=新)カオス(=混沌)王子”としました。最近、転職したばかりですが、かなり快適に働けています。今後も、混沌王子のことを思い出しながら、より自分が心地いいと思えるところで働き、生きていきたいと思っています。