はじめて
隔離完了後すぐに深圳から北京に移動し色んなエピソードがありましたが無事に到着できました。1月23日の感染者数は北京の6人対東京の9468人です。数値だけではどちらが優秀か簡単に言えません。それぞれの政府は国家事情に従って選択した最善案だと考えています。早めに平和に戻るように毎日祈っている「イーサン」です。
時間はあっという間ですが、執筆の最終回において経済の視点から権利について少し語りたいです。
権利は文明の産物
人間と動物の最大の違いは、人間社会に権利という現象があるということです。ここでいう権利の「利」とは、「力」ではなく、利権の利益です。権利とは、文字通りの意味で、利益を所有する占有権です。
人間社会と動物社会の大きな違いの一つは、動物社会において直接競争をしていることです。 虎はとても攻撃性があり、欲しいものがあれば鋭い爪を持って何でも掴み、速く走る・木に登る・泳ぐことができ、昼も夜もものをハッキリ見ることができます。また、虎が何を所有しているかは、ほかの方にも一目瞭然です。人間の社会はぜんぜん異なり、我々は表面上は喧嘩したり、競争したりしているわけでなく、みんな仲良く一緒に学習・仕事・生活をしていますが、実際は激しく競争しています。毎日の生活のことを考えてください。虎のように生存のために走り回っていませんが、必要なものがひとつひとつ揃って来ています、それは人間社会です。
日本に留学していたとき、親戚から「あなたの学費は誰が出したの?」 、「日本からの奨学金です」と言い返しました。「日本から奨学金をもらっているとのことなので、卒業後は配属されるのか?日本では何年勤めなければならないか?」、「何年も務める必要はなく、タダのことです」と言いました。このとき、私も自分の答えに驚きました。なぜ、人間社会はそのような制度的な取り決めをしていますでしょうか?なぜ、私たちの競争は直接のではなく、間接的におさまるのでしょうか?学籍、学位、航空券、宿泊費など、非常に貴重な資源を社会からもらい、利用していたことは明らかです。でも、それを手に入れるために、残酷に戦わずにただ黙々とパソコンの前で打ち込んでいたら、こんなものが出て来て利用できるようになりました。なぜ人間にはこんな素晴らしい制度があるかというと、私たち人間社会は遠回しにこのように競争しています。これが人間社会と動物社会の本質的な違いの一つです。
権利の定義
権利の概念といえば、すでにおなじみの偉大な経済学者アルメン・アルキアン(Armen Alchian)による「権利」の解説を紹介したいです。
「財産権とは、社会的に強制された、経済財の複数の用途に対して選択できる権利である。」
(A property right is a socially enforced right to select uses of an economic good.)
この文書の中、「社会的に強制される」(socially enforced)という言葉には、大きな重みがあります。
権利というのは、社会的に行使されなければなりません。自分が持っていると思うからではなく、他人が自分持っていると認識し、その行使を他人が守ってくれるからこそ、認められる権利です。これは権利の特性として、人間社会と動物社会を区別するものです。
権利と能力は別物
私はライオンキングです、私は最強の王者です、誰も私に勝てることができません。従って、もし私が肉塊を持っている場合には、誰も私からそれを盗む勇気はない、その権威の裏で支ているのは「能力」です、英語においてMightと呼ばれています。
人間社会では、その逆です。 私は車を持っていて、オフィスの地下一階の駐車場に駐車していますが、武器を持って隣に立ってガードする必要はなく、車を置いて他のことをしに行くことができます。 この車を盗もうとすると、必ず「この車を触るな、イーサン車だ」と言う人がいます。これを能力とは言わず、私の権利(Right)と言います。
動物の世界では、他人の財産を守れば、同じく自分の財産も守れるという発想はありません。
さいごに
動物世界において、まだその思想がありません。泥棒であっても自分の持ち物が勝手に盗まれる社会には住みたくないに決まっています。殺人犯であっても自分の人生安全が随時に襲われる社会に住みたくないに決まっています。これは、人類文明が一歩一歩進化してきた結果です。権利と能力の違いは皆さんに共有したいポイントです。能力は自分がどれだけ持っているかで決まりますが、権利は他人、つまり社会がどれだけ与えてくれるかで決まります。
一年、どうぞありがとうございました。
まだご縁がありましたら是非お願い致します。