文化・ふぐちり・2次試験

みなさんこんにちは。

馬車の第五輪です。

唐突ですが、私が中学生の時に図書室で借りて読んだ本で、今でもその内容を記憶しているものがあります。

かの「3年B組 金八先生」のシナリオライターの小山内美恵子さんが若者に向けて書いた本で、終盤にドラマ内のあるシーンのセリフが載っておりました。

こんな内容です。

金八「文化とは何か?」

生徒たち「……」

金八「文化とは、ふぐちりであると坂口安吾という作家がそう言った。最初、バカが北九州に住んでいて、ふぐなんて食べたことないけど食べてみようと頭から食っちゃった。もちろんこのバカはふぐの猛毒に当たって死にました。」

生徒たち「……」

金八「しかし、しかしだ。死んでゆくとき、なんかひと言、言い残さなくてはと、どうも目玉を食ったのがいけなかったらしい、とそう言った。そして次のバカが出てきて、おれも挑戦してみよう、と目玉をぬいて食ったけれど、やっぱり七転八倒して、今度は皮がイケなかった、と言い残して死にました。そしてその次のバカは骨が悪いというように、バカたちのなんとも言えない歴史が、とうとうと続いて、今日、われわれは安心して、ふぐがたべられることになった。つまり文化というものは、こうした積み重ねのうえに受けつがれて存在しているものなのだよ。そして、こうしたご先祖さまのおかげをこうむって今日あるわれわれは、次のまた次の時代に、人間が幸せになるものを残さにゃならん責任てもんがあるんだ。だからお前たちは、そのために苦しい受験勉強と戦っているんだよ。」

生徒たち(うなずく)

金八「このなかに、みごと東大へ入って大蔵官僚になれるやつがいたら、人間のほんとうの幸せのために使える予算を千円でも多くぶんどってくれ。大工になるものは、家族が肩を寄せ合い、いつもあったかい笑い顔が絶えないではいられない居心地のいいそんな家をつくれ、手抜き工事ではつくれないぞ。酒屋を継ぐものは、客の気持ちが明るくなるような笑顔を忘れないでください。看護婦になるものは、病人の苦しみをわかち合ってやれるような、やさしい職業人になってくれ。小説家を志すものは、人間とは生きている価値のあるすばらしいもんだと、感動できる物語を、音楽を志すものは、聴く者の魂をゆさぶる音楽を奏でてくれ。おっ母さんになるものは、お前たちのような受験戦争に、子どもをたたき込まないですむようなかしこいお袋になってください。そして……、この川が流れ込んだ海の向こうでは、受験戦争どころか、本物の戦争で傷つき、肉親を失い、食うものすらないお前たちと同じとしごろの少年少女がいるということを、そして、なぜそういうことがあるのか理解できるような、そんな人間になってください。そして……」

どうでしょうか。

後半は今回のメッセージにあまり関係がないので網掛けしましたが、感動的なセリフなのであえて削除しないでおきました。

若い時分に読んだ本は強く印象に残っているもので、30年近くたった今も時々思い出します。

さて、そんなわけで今回はこの“ふぐちりスタイル“で、私がこれまで中ってきた毒、もとい試験直前・当日の失敗事例をお伝えしたいと思います。ワタクシ2次試験8回目での合格ですので、たくさんフグ食べてきました。

結果論的であり、個人的経験ではありますが、少しでもご参考にしていただければ嬉しいです。

1.試験中に試験時間が突然わからなくなりパニック

嘘みたいな本当の話なのですが、ある年の事例Ⅰを受験中、なぜか終了時刻を誤って思い込んでしまい、途中で時間が足りないことに気づきパニックに陥る、ということがありました。泣きそうになりながら慌てて答案を埋めたことを憶えています。

極度の緊張状態にある状況では、いつもできている当たり前のことができなくなる可能性があります。

くれぐれも油断なきように事例ごと、開始前に何度も時間は確認しましょう。

羹に懲りて膾を吹く、ではないですが私はそれ以来、9:40の事例Ⅰ開始時間を、腕時計を10時になるように合わせるというやり方にしました。そうすることで、常にアナログ時計の分針の位置で直感的に時間感覚をつかめるからです。ちなみにこのやり方だと事例Ⅱは12時開始で分針は自動的にテッペンスタート、午後からは余裕のある昼休みに正しい時刻に直しておけば、事例Ⅲは14時開始、事例Ⅳは16時開始となり、いずれもテッペンスタートになります。

(ややこしいわ!と思った方はやめておきましょう。でも基本的に事例Ⅰのスタートだけ気をつければ大丈夫ですのでそんなにハードルは高くありません。)

2.本番特有の紙質で蛍光ペンが裏写り、滲みで大慌て

AAS流ではSWOTを中心に蛍光ペンで色分けを推奨しています。それに加えて自己流で万年筆を使ってマーキングをしておりました。受験校の模試や新作事例、あるいは過去問を自前で印刷してその使用方法を日々鍛錬していたのですが、いざ本番を迎えた時、衝撃を受けました。

紙質が通常のペーパーに比べて異質で(質素すぎて?)、蛍光ペンや万年筆のインクがべったり裏写りしてしまい、裏面が見づらいこと見づらいこと。

だから解けなかった、というわけではありませんが相当なストレスがかかったことを憶えています。

AASの先生からアドバイスをいただき、翌年度からは裏写りしないタイプの蛍光ペンを使うことで解決しました。

(ちなみに「PILOT フリクションライト」シリーズにしたところ裏写りは気になりませんでした)

そんなわけで、紙質問題は今では解消しているかもしれませんが、こんな予期せぬトラブルもあり得る、ということを知っているか知らないかでも心構えが違うと思いますので、ご参考まで。

3.「今年は出題傾向が激変した!」という錯覚

上述のとおり私は2次試験を8回も受けたわけですが、前半は毎年「なんだこれ?今年は出題傾向が全然違う!!」と戸惑いながら受験したものの、各受験校の解説では面白いように「難易度の違いはあれど、例年通りの傾向」という分析結果でした。

私が表面的な出題の違いにまったく対応できていなかったことの表れだと思いますが、それで浮き足立ってしまった感は否めません。

今年も形式が変わったり、一風風変わりな出題がなされることがあるかも知れませんが、問われる診断・助言の本質は不変のはずです。「傾向が違う!」と思っても、落ち着いて、深呼吸して、勉強してきたことをどう使うか、目の前の事例企業の相談に真摯に耳を傾けてください。

4.「今年は過去問まんまか!」という錯覚

受験生活も円熟してきて、これ以上ないほど勉強した実感と自信をつけていた年のことです。

ちなみに試験直前は1週間会社を休み、試験と同じ時間帯で過去問を解くいわゆる「セルフ模試」に5日連続で取り組んだりしてエンジン全開で試験に臨みました。

特に事例Ⅰですが、上記3.の錯覚とは正反対で、「この設問もこの設問も過去問にあったのと同じだ」という感覚に陥り、初めて「今年は簡単だった」という印象を持ったことがありました。

結果、なんと事例Ⅰは40点未満で足切り・・・。

個人的なことですのでもちろん人それぞれ、と思いますが、この時は直前に過去問を詰め込み過ぎて目の前の事例に素直に向き合うことができていなかったと振り返っています。

ちなみにこの年は、受験後疲労困憊すぎて、しばらく立ち上がれなかったり、自宅と逆方向の電車に乗ってしまってなかなか帰れなかったことを憶えています。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の一例でしょうか。

5.トイレ問題

これは当たり前過ぎて書くのも憚られますが、毎度毎度の男子トイレの混雑ぶりに辟易して、「まぁいいか」と休み時間にトイレに行くことをしなかった時がありました。そんな時に限って(尾籠な話で恐縮ですが)、そんな時に限って強烈に催したくなってしまうわけで、、しかも事例Ⅳだったわけで、、。

排泄欲求を我慢しながら事例Ⅳに太刀打ちできるわけもなく、あえなく撃沈。

みなさん、大丈夫と思っても、毎回トイレには行ってください!(いい大人がいい大人に向かって本当にすみません!)

6.電卓問題

ある年のとある受験会場では、小学生の机か!とツッコミたくなるほど小さい机での受験を余儀なくされました。

筆記用具の置き場所にも苦労しましたが、電卓を受験票の上に置かざるを得ず、受験票が落ちたりズレたりするストレスフルな状況になったことがありました。

それ以来、セロハンテープを会場に持ち込み、事例Ⅳの前に試験監督の方に「電卓でズレるかもしれないので受験票をセロハンテープで固定していいですか?」と聞くようにしていました。

「いいですよ」という方もいれば、「受験票は通路側でなくても大丈夫です」と答えてくださる方もいました。

神経質な奴、と思われるかもしれませんが少しでもストレスが減り試験に集中できるのであれば安いものです。

ちなみに電卓は、万が一試験中に電池切れや故障があってもいいように、同じタイプのものを2つ持ち込んでいました。確率は極めて低いと思いますが、もしもそうなったら絶望的ですので、転ばぬ先の杖として。

 

 

以上です。

少しでも参考にしていただければ嬉しいです。予見できる毒は除いておきましょう。

では決戦の10月30日、皆様の実力が遺憾無く発揮できることを、お祈り申し上げます!

 

参考文献: 小山内美江子著 「21世紀を生きる君たちへ」 岩波ジュニア新書

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