皆さんこんにちは。2回目の投稿になります「サクラサク飛鳥山公園」です。今回は、コーヒーブレイク的なネタでいきたいと思います。
1回目のブログで自己紹介しましたが、私は超多年度受験生ですので、学習の過程で多くの方との出会いがありました。20年近く前に知り合って、今でも親交のある方々もいます。
平成16年にタイムスリップ
AAS絡みで知り合ったIさん、Sさん、Tさんもそんな方々です。平成16年当時、私を含む4人で2次勉強会を定期的に行っていました。Iさん、Sさんと私が受験生で、Tさんが診断士(平成14年度合格)でした。
このグループの掟は、「T診断士指導のもと、全員が診断士になる」でした。出来の悪い私は「多分一番最後に合格するか、途中でフェイドアウトするか、どっちかだろうなー」と思っていました。予想通り、IさんとSさんはその年に合格、私はその後も受験生ロードを走り続けたわけです😞💦。
年が明けて平成17年も、残る受験生が私1人になったにも関わらず、勉強会やメールでのやりとりで彼らは支援してくれました。具体的には、月一回のコーチングや財務の計算に関するアドバイス等、です。彼らには感謝しきりで「私が合格したら、私の奢りで合格祝賀会をやりましょう🎵」と提案し、了承して頂きました。
しかし、その年は1次試験すら受からず、2次試験も受験出来ませんでした。そんな体たらくでしたから、グループは自然消滅。彼らは診断士としての活躍で忙しく、連絡も途絶えていきました。
令和の時代へ
そして月日は流れ、令和の時代に。
令和2年10月の2次試験でようやく合格でき、お世話になった方々に合格の報告とお礼の連絡をしました。勿論、Iさん、Sさん、Tさんにも連絡しました。その時こう言いました。
何でしたっけ❓
そして感動の再会。平成16年当時よく行っていた中華居酒屋が現在でも営業しており、そこで当時の話に花を咲かせました。かつての受験仲間は診断士になって独立したり、企業内診断士になって仕事に活かしたりと、自分の道をしっかり歩まれていました。
診断士試験に合格してからの感想
それにしても中小企業診断士というのは不思議な資格だと思います。中小企業の支援という本来の目的とは別に、人と人をつなぐ役割もあると思いますね。
実務補習を通じて感じたのですが、メンバーの中に私以外にもAAS生が2人いて、フレームワークや因果で資料をまとめるなど、共通のノウハウがあるので、議論やとりまとめもスムーズでした。AASは、コミュニケーション能力も高めてくれる、良い意味で人間の標準化もしてくれます。
これを読んでいるあなたは、もうAAS生ですね(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。